長野 久義 |外野手・右投右打
背番号: 7 生年月日:1984-12-06年表(ハイライト)
主なタイトル / 受賞
- 2010:新人王(セントラル・リーグ)
- ベストナイン:○回
- ゴールデングラブ賞:○回
※ 通算打率.280・長打率.426・出塁率.342 など。公式データを参照。
年度別成績
| 年 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2010 | 巨人 | 128 | 459 | 430 | 124 | 24 | 3 | 19 | 52 | 12 | .288 |
| 2011 | 巨人 | 140 | 578 | 519 | 164 | 20 | 4 | 17 | 69 | 19 | .316 |
| 2012 | 巨人 | 144 | 653 | 574 | 173 | 29 | 2 | 14 | 60 | 20 | .301 |
| 2013 | 巨人 | 144 | 642 | 590 | 166 | 21 | 3 | 19 | 65 | 14 | .281 |
| 2014 | 巨人 | 130 | 523 | 472 | 140 | 29 | 1 | 13 | 62 | 8 | .297 |
| 2015 | 巨人 | 130 | 479 | 434 | 109 | 20 | 3 | 15 | 52 | 3 | .251 |
| 2016 | 巨人 | 143 | 618 | 576 | 163 | 28 | 4 | 11 | 42 | 8 | .283 |
| 2017 | 巨人 | 134 | 516 | 463 | 121 | 20 | 3 | 16 | 46 | 6 | .261 |
| 2018 | 巨人 | 116 | 426 | 383 | 111 | 16 | 0 | 13 | 52 | 3 | .290 |
| 2019 | 広島 | 72 | 197 | 180 | 45 | 7 | 1 | 5 | 20 | 0 | .250 |
| 2020 | 広島 | 95 | 299 | 267 | 76 | 17 | 1 | 10 | 42 | 1 | .285 |
| 2021 | 広島 | 71 | 140 | 125 | 27 | 3 | 0 | 2 | 13 | 1 | .216 |
| 2022 | 広島 | 58 | 134 | 123 | 26 | 5 | 0 | 3 | 15 | 2 | .211 |
| 2023 | 巨人 | 75 | 176 | 158 | 41 | 7 | 1 | 6 | 19 | 1 | .259 |
| 2024 | 巨人 | 54 | 98 | 89 | 23 | 3 | 1 | 0 | 14 | 1 | .258 |
| 2025 | 巨人 | 17 | 24 | 22 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .136 |
※ 出典:日本野球機構公式サイト「年度別成績」ページ。
最終更新: / 配色:G 巨人 C 広島
引退会見
本日はお忙しい中、またポストシーズンが続いている中、私事でお集まりいただきありがとうございます。2010年から16年間、プロ野球選手として皆様には大変お世話になりました。この度、私はユニフォームを脱ぎ、大学院に進学することを決意しました。今日はこれまで応援してくださった皆様に感謝の気持ちをお伝えするために会見を開いています。よろしくお願いします。
—— 今日の心境は?
緊張してあまり眠れませんでした。
—— 引退を決意した時期やきっかけは?
今シーズンはファームで過ごす時間が長かったですし、その中で若い選手と一緒にプレーをしていて、「そろそろかな」と思った自分もいました。まだまだやりたいという思いも多少はあったんですが、若い選手に託して引退することを決めました。
—— 近い方への相談は?
選手では(坂本)勇人にしか話もしていませんでした。まだポストシーズンが残っている中で話をするのはどうかと思ったんですが、やはり話はしておかないとなと思ったので話しました。
—— 坂本選手の反応は?
「まだやりましょう」という話だったんですけど、まあ色々あったので(笑)。
—— 最も思い出に残っていることは?
ルーキー時代に新人王、2年目首位打者、3年目最多安打と獲って、「プロ野球って簡単だな」と思ってしまった自分がいたんですが、やっぱりそこは甘くはなかった世界でした。
—— 印象深い試合は?
個人的な試合では、2011年の東京ドーム最終戦です。代打逆転サヨナラ満塁ホームランを打ったシーンがすごく思い出に残っています。内海さんの最多勝もかかっていましたし、僕個人の初めてのタイトル(首位打者)もかかっていたので、すごく記憶に残っています。
—— 長くプロで続けられた要因は?
いっぱいご飯を食べて、いっぱい遊んで、しっかり練習して、昼も夜もいっぱい頑張りました(会場笑)。
—— 坂本選手はどんな存在でしたか?
僕がルーキーの時に宮崎キャンプの部屋が隣で、色々教えてもらって公私ともに一緒に過ごしました。野球選手としてすごく尊敬する部分もたくさんありますし、僕にはなかった「努力の才能」というのはやっぱり勇人は持っているなと思いました。
—— ダブルタイトルの時の思いは?
勇人が(残り)3本打つしかない状況だったので、僕も試合に出ていましたが、なんとかフォアボールを取りに行ったり、打率を下げないように、なるべくヒットを打たないようにじゃないですけど(笑)、そういう気持ちでやっていた思い出はあります。
—— 坂本選手に託す思いは?
2012年以来日本一になれていないので、そこはやっぱり日本一になってほしいと思ってます。まだまだ若いので、もう一花も二花も咲かせてほしいなと思います。「二花」って言うんですかね?わかんないですけど(笑)。
—— カープでの4年間はどんな期間でしたか?
カープで過ごした4年間は、本当に僕の野球人生の中で大切です。カープ退団時にも話しましたが、僕はすごい人見知りなので、最初は人間関係を構築していくのがすごく大変でした。でも気がつけば4年間で、ジャイアンツ時代のチームメイトも含めて2倍の素晴らしい仲間ができた時間でした。
—— ジャイアンツへの強い思いはどこにあったのですか?
ドラフトのことは色々言えないことも多いんですけど(笑)、多分ここに来てくださってる記者の皆さんは分かってると思うんですが、今考えると大変だったなと思っています。
—— 一言で言うと、長野さんにとって読売巨人軍とは?
難しいですね……(長い沈黙)……ちょっと待ってください…………「プロ野球のチームです」(会場爆笑)。
—— 支えになった言葉や好きな言葉は?
僕は大学生の何者でもなかった頃からミズノのスポーツメーカーの皆さんにサポートしていただいて、プロ野球に入って16年間ずっとサポートしていただいて……好きな言葉は「ミズノ」です(会場笑)。
—— 今後の人生の目標は?
まずは色々と勉強して、若い選手たちのお手伝いみたいなこともできればいいかなと思います。ちなみに冒頭で挨拶した大学院についてですが、一応12月に受験予定です。よろしくお願いします。
ドラフトのことで、ファイターズ、ロッテのスカウトの皆さんに、指名して良かったなと思ってもらえるように、とにかく必死に成績を残すことだけを考えてやってきた野球人生でした。本当に周りの人たちに恵まれて、最高の野球人生でした。
最後にすいません。プロ野球はやっぱり審判の方がいないとできないスポーツだと思うので、とにかく若い選手にも審判の方をリスペクトしてプレーしてほしいなと思います。ありがとうございました。
—— (坂本勇人選手が花束を持って登場)
これ来すぎじゃない? ありがとう。
—— 坂本選手からの言葉
16年間の長い現役生活お疲れ様でした。引退会見にこれだけ人が集まるっていうことは、長野さんの人柄だと思いますし、みんな大好きだし、宝だと思います。ここに来ていないメンバーもそう思ってると思います。まずはしっかり体を休めて、また今後に向けて頑張ってください。現役生活お疲れ様でした。
